5YA

卵巣がんステージⅣ経過観察中のヤツ。のメモ帳。

26年前は高槻市民でした

ブログネタがありすぎて、いくつか並行して書いてます。

でも、今日は26年前の阪神淡路大震災の記憶を書き残しておくかな…

 

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以下は、震度はそれなりで、場所によっては酷く揺れて被害が出たけど、たまたま被害の少ない所に住んでいた関西人の個人的な記憶です。

 

ふざけたこと書きやがって。と、不快になる方もあるかもしれません。

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26年前の1/17。住んでいたのは大阪府高槻市。

結婚して3ヶ月。5階建て社宅の4階に住んでいて、北側の和室に布団を並べてK氏(夫)と寝ていたら。

朝方。ごぉー…っという音が聞こえてきた。眠ってたはずなんだけど。何故か目が覚めた。

あー、風が強いのか。とぼんやり思った。

(後に東日本の震災でもこの天丼をやらかした)

 

そのごぉーがなかなか止まない。バスや大きなトラックが通る道沿いだったので、なんかでかい車通ってる?と思い直して。

 

そのあと、揺れが来た。大きいな。下手に起きない方がいいな。

あ、でかい。普通じゃない。部屋の箪笥が倒れてくるかもしれない。その時はK氏を庇おう。

 

これは死ぬかも。死ぬな。

建物がメキメキ言ってる。倒壊して死ぬのか。

やっとまともな人と結婚して、親を安心させられたのに。

(ここで、日航機事故のCAさんのエピソードが思い浮かんだ)

親が私の亡骸を見た時辛くないように、苦しんだ顔で死なないようにしよう。軽く微笑んで、と。

(京都市内の実家だって被害があるかもなのに、そこまで頭が回ってない)

 

……揺れ、長っ。

 

上の階でなんか倒れた音が。食器棚かな。

うーん、どうなっちゃうんだろう。

このまま無事だったら歯医者のパートタイム行かないとな。隣の部屋に制服干してんだけど、揺れで落ちてないかな。皺になっちゃう。

(このへんから現実的なことを考え出す)

 

揺れ長いわー。テレビで見たあれ、試すか。

地震の横揺れと逆に揺れたらプラマイゼロで揺れを感じないってやつ。

(うまくいきました)

 

てか、K氏寝てるん? 大丈夫か。

(会話はなかった)

 

…やっと揺れ、終わった?

どうしよ。こういう時は入り口開けた方がいいよね。

(起きて洗面所の鏡を確認)

寝癖ひどー…ちょっと人に見られたくないんですけど。

(上の階の奥さんと、隣の奥さんが話す声が聞こえる。よし、出ないことに決めた)

 

そのあとも「普通に朝の支度」して、8時前、K氏は「普通に出勤」するため家を出た。

何故かテレビをつけてなかった?

(この頃はめざましテレビ派だったかな)

まさか神戸があんなことになってるなんて、知らない人も多かった。

 

京都の友人も、何も知らずにスクーターで市内の会社に出勤したとあとから知った。

(おうちのビーグルちゃんはぷるぷる震えてたって)

 

K氏が戻ってきて「あれ? 忘れもの?」と不審に思ったら

「阪急電車が地震で止まってる」

ここで初めて「もしかして、地震、思ったより酷かったのでは?」と思い至る。

テレビをつける。

 

え…?

どういうこと?

 

現実味がついてこない。

 

この時衝撃的だったことは覚えてるんですが、ヘリからの神戸の様子だったことぐらいしか。

後から沢山、有名で信じ難い画像が溢れてくるけど、断定しちゃうと記憶を捏造しかねないので、このへんはふわっとさせておきます。

 

神戸方面の知人友人の安否は気になるものの、まだまだ情報が不足していて。

その前にパート先に電話しなきゃ。

「電車止まってるので行けません」

 

電車動いたらなんとか来てくれと言われてがっかり。院内が割れ物でえらいことになってるからって。

院長が片付ければええやん。エロジジイめ。

それこそ不倫相手の女を呼べよ。

 

と、イラっとしたけど、バスが動いたら行くか…と、諦める。

(午後になったけど一応行った。もう一人のバイトちゃんも少し前に着いてて、二人でぼやきながらガラスの破片類を始末した)

 

この時点でも、この大地震の真の規模や被害が見えておらず、今思えば呑気なもんだった。

家も無事、電気もガスも水道も使える。小さい子供や、介護の必要な家族もいないし。

 

ちょっと離れた地域では、インフラも壊滅的。数日経って、父方の伯父伯母が逆瀬川(宝塚の隣)の高級マンション住まいだったので、実家の父母が苦労して携帯コンロやパンなどを差し入れに行った。…はいいが、逆に哀れまれて施そうとしてくるのでガチギレ💢した事件起こる👹

(実家は貧乏。伯父は元JR職員、いとこは武蔵美からの電通マンというわかりやすい金持ち勝ち組さん)

 

はっきり覚えてるのはこのくらい。

テレビで自衛隊の皆さんがお風呂を用意してくださって、神戸方面の被災者の方々の感謝のコメントがニュースで流れてた。それが26年経った今でも印象深くて。

入浴のたびに、普通に風呂に入れるありがたみを感じてます。夏でも冬でも。

 

あと、たまたま我が家はなにも倒れず、25型の重たいテレビは、キャスター付きのテレビ台ごと動いていたけど無事。

食器棚もたまたま模様替えで向きを変えていて倒れず。

冷蔵庫も独身時代の小さいやつで被害なし。

針金ハンガーで鴨居的なところにぶら下げてたナース服も落ちてませんでした。

 

26年後の今日。

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子供はいないけど猫は増えた。東日本大震災も一緒に経験。

(ノールック撮影は耳が切れがち)

(猫は被害の大きかった亘理町生まれ)

 

自分ちは被害なかったとはいえ、2回の震災に加えてステージ4のがんを経験してきたせいで、余生感が強いのかも。